伊達くんの話

 伊達くん(仮名)は小学生の頃に転入してきて中学卒業まで同じ学校だった。
 彼は明るく、テレビや漫画やゲームなどの流行に毒されていない純粋ないいやつで、それ故にどのグループともいまいち折り合いがつかず孤立しがちな子だった。体育の授業でペアをつくる際に余ってしまい先生と組むというあるあるに該当するタイプだった。細長い体型で、頭が小さく、目はぱっちりしていて、顎は細く、色白で、頬がうっすら赤く、ヒゲが生えてきていたため鼻の下は青かった。伊達くんは礼儀正しく、同学年の子だけでなく年下の子に対しても敬語を使っていた。ぼくは他の大体の生徒がそうであったように、伊達くんと仲が良いわけでも悪いわけでもなかった。だから、彼と何を喋ったとか遊んだとかの記憶はほとんど残っていない。
 伊達くんは小学生のころ、ぼくの家の近所にある個人塾に通っていた。塾は、個人宅の居間に長方形の小さな卓袱台をいくつか並べただけのもので、学校で習う科目の予復習以外に書道や将棋などを教えていた。ぼくは塾生ではなかったが、漢検の準会場として利用していたし、数少ない将棋の相手がいる遊び場でもあったから、何度か行ったことがあった。しかし、年に数回の漢検も毎回受験していたわけではなかったし、先生は何故看板を掲げているのか解らない程に将棋が弱かったため、指しに行ったことも数回しかない。それら数回の中でぼくは伊達くんと顔を合わせたことはなく、彼がその塾に通っていたということも当時は知らなかった。知ったのは、漢検二級の試験(落ちた)を終え、靴を履いて帰ろうとした玄関に、伊達くんの絵が飾ってあったのを見付けた時だった。絵は、右下に消失点のある一本の電車の絵で、色鉛筆で塗られていた。絵に奥行きがあるということ、アニメや漫画やゲームのキャラ以外のものを描いているということ、そしてそれが伊達くんの絵だということにかなりショックを受け、凝視した記憶がある。それまで「いいやつだがどことなくパッとしない鼻の下の青い子」という印象しかなかった伊達くんだったが、その日以降は、鼻の下があんなに青いのになかなか侮れない子だと一目置いていた。伊達くんとの間で最も強く印象に残った出来事だった。
 その後、これといって伊達くんと接する機会もないまま卒業し、会うこともなかったのだが、意外な形で伊達くんと再会した。約二年前、匿名で施設へ寄付をする「タイガーマスク運動」が流行った時、伊達くんも運動に参加して寄付を行ない、マスコミの取材を受けていたのだった。伊達くんはマスコミに取り上げられた際、伊達直人を名乗ることなく、素顔と実名でテレビに出ていた。「運動に感動し、世を明るく」したいと思い運動に参加したのだという。ここまで「伊達くん」と仮名で書いてきたが、これはタイガーマスクの正体である「伊達直人」にちなんで適当につけたものである。

 伊達くんは顔出しでの寄付によって、2ちゃんねるの実況スレで「マスゴミのヤラセ」「偽善者」だと叩かれていた。詳細は省くが、伊達くんの言動は首尾一貫しているとは言い難く行き当たりばったりで、万人が手放しで素晴らしいと称賛できないような突っ込みどころがいくつかあった。そもそも、タイガーマスク運動自体に賛否があったわけだから、当然、第三者からの否定的な反応は避けられないだろう。だが、伊達くんは尋ねられたから名前と連絡先を教え、請われたから取材を受けたまでのことで、運動にも初期衝動的に参加しただけであり、匿名での寄付という公正無私の美徳も大して重要視していなかったのではないかとぼくには思われた。
 伊達くんの寄付したのは他の「伊達直人」のプレゼントした新品のランドセルや現金などと比べたら本当にささやかな、それこそ数百円程度のものだった。ニュースを見てファンタジーのような夢のあるニュースに感激し、自分も何かしたいと思ってできる手近なことをやってみた結果、他の人のようにスマートにはいかなかったという、このことがぼくにはとても彼らしいことに思える。ぼくは、数百円程度の寄付など、むしろ煙たがられるのではないかとおそれてできない。伊達くんはやった。ぼくにはない勇気があると感心し、また一目置くことになった。

 卒業文集を開いて、クラスメイトみんなでつくるページを見てみたら、伊達くんは「将来、農園でとうもろこしを栽培していそうな人」に選ばれていた。今、どこでどうしているのだろうか。変わらず鉄道趣味があって鼻の下が青いいいやつあって欲しいと思う。