初めて官邸前のデモに行った話

f:id:osobaman:20140704203625j:plain

 

最近、iPhoneが熱を持つようになったので、アップルストア銀座に向かう用事がありました。それで永田町で降りて、官邸前のデモを見物してから行くことにしました。

 

確か

 

職 1991~1995―WORK

 

この写真集だったと思うんですが、バーテンダーのページで「宗教、野球、政治の話題はタブーで、絶対に自分からは振らない」というようなことが書かれていました。

何故避けるかといったら勿論、愉快な話し合いの場が荒れてしまうからですよね。デモでは「殺し合いより話し合い」というような文言が書かれた紙を持っているおばさんを見掛けましたが、この三テーマはその話し合いを困難にします。互いに最初から結論は出ており、話すことなどありません。如何に相手が歩み寄るべきかということを話し始めてしまい引込みがつかなくなるというのがパターンですよね。

今はワールドカップが開催中で、もはや野球よりサッカーの方が危ないテーマのように感じます。予選敗退が決まるまでの間は列島は戦時下と化し、誰もが皆、期間限定のナショナリストになって、「サッカーなんて興味ないよ」という人達を非国民と謗ります。非難されたくない少なからぬ人々が「サッカー興味あるよ」というお面をつけて生活することになるのです。ぼくはバルセロナファンでスペインを応援していたので謗られることすらなく予選敗退しました。

 

話を戻すと、つまり、みんな百人百様の政治やデモに対する考えがあるんだから、ぼくにもあるんだということにひとまずしといて、色々ややこしいことを書くのは避けたいという、ぼくの気持ちです。今ぼくはぼくの気持ちを書きました。

 

そもそも、ぼくはデモというか、いわゆる意識の高まりや団結のようなものがとても苦手です。

中学の頃、クラスメートが授業中に先生にビンタされて、「体罰教師を追い出そう!」ということで他のクラスメート達が署名運動をしたことがありました。みんな「なんてひどいやつだ」「~君はいい子なのに」「大人が子供に手を出した」等と盛り上がっており、ぼくもルーズリーフを差し出され名前を書くよう求められました。しかし拒否しました。その子が授業中ふざけていたのは事実だし、何も解らない中学生ながら、ビンタされたくらいで教師を退職に追い込むなんて現実味が無いと思ったというのと、署名によって責任を背負うことになるのが面倒だと感じました。しかしそんな理屈より何より、そもそも教師と生徒の一対一の話なのにそこに首を突っ込んで、更に「一人では無力でもみんなでなら」と、ビンタをされた子に施しをしてやろうという考えがあまりにも綺麗事が過ぎてむしろ汚らしく感じました。そうして「いや、ちょっと……」と突き返すと、署名を求めてきた子は「弱えな……」と言い捨て、サッと別のクラスメートの元へと行ってしまいました。「弱え」というのは教師と対立する勇気が無い臆病者という意味で言ったんでしょう。

これは嫌味じゃなく、ぼくもそういう有り難迷惑なお節介焼きの純粋な人間になれたらと思うことは少なからずあります。しかし署名運動をしていた彼らは一見、純粋で、建前だけを見ることのできる人達で構成された集団のようで、「お面」をつけた人達も中には多くいるのかもしれません。そういう人達はなかなか見付けるのが難しい。

 

善意の集団というものは、集団に含まれない個人を弾き出し、善意無し、無関心、意識が低く行動力がないと自動的に判断してしまうものなのだと思っています。

 

デモを行っている人達は、自分の中に作った他人の幸せの為に集まっている人達のように見えます。彼らはシュプレヒコールを上げることで政治の現場まで声を届け動かそうという気概を持って(「そこまではさすがに無理と思ってる」とは彼らは言えないけど)、無関心な多数の人々の注意を引き意識を高めること(メインはこっち)を主目的に活動していますよね。行ってみたら本当に義憤に燃えていたから、思っていた通りであることが確認できました。

 

永田町の駅を出た後、議事堂前までのあらゆる道が閉鎖されているし、横断歩道を渡る度に立っている警官に「どちらまで行かれますか」と尋ねられるので、いちいち「自宅です(人間は自宅を出たその瞬間から、自宅へ向かい続けているのだ……)」と答えて、グルグルと歩かされデモを見回ったところ、おじさんおばさんの見た目は普通。若者は下北沢で水タバコを吸っていそうな見た目のヴィレヴァン店員のような人が多くいました。子連れや、高校生くらいの子達もいました。

 

議事堂周辺の歩道には、安倍首相を皮肉った写真や文言のプリントされたボードを掲げている人達がたくさんいたんですが、政治をテーマに日本で諷刺をするのは難しいようで、これというものはありませんでした。

お爺さんが「安倍やめろ」と書かれた内輪を奥さんに握らせようとして大声で拒否されていたのが印象的でした。

あと、シュプレヒコールトランジスタメガホンから聴こえてくるのですが、遠くにあるメガホンはたまに具合が悪くて「安倍や……ろー!!!憲ぽ……まもっ……ォーーー!!!!」というように途切れることがあり、その度にデモに集まった人達が混乱し「安倍だめっ?ウォーーー!!!憲法返せーーー!!!」などとデタラメなことを言っていて、みんな怒りながら真面目に叫んでいるその様子を見て「笑ったら殺される……笑ったら殺される……」と怯えていました。

 

ぼくにとっては、デモよりは選挙の方がまだ少しは期待が持てると思うものの、どちらにも大差はなく、お祈りに近いものと捉えています。そういう意味では、デモの参加者の怒り声より、以前忍び込んだ某宗教施設の大部屋で百人近い人達が唱題をあげているのを見た時の方が数段恐ろしく、圧倒的な迫力がありました。

 

宗教と政治とサッカーの話を書いてしまいましたが大丈夫なんでしょうか。

 

結局、熱くなったiPhoneは直りませんでした。